「うごメモはてな」はなぜ「協業」だったのか?

  • January 10, 2009 11:00

任天堂とはてなの協業は金銭のやりとりが発生していないと明記されています。

それにはいろいろな理由が存在すると思いますが、思いつくものを羅列していきたいと思います。

任天堂が著作権問題を回避するために「はてな」を利用

任天堂は日本有数の企業になってしまったので、

著作権問題などを真正面から取り組まなければいけない状態にある。

「大合奏!バンドブラザーズDX」ではJASRACと提携して、

かなりのコストをかけて著作権問題をクリアしている。

詳しくは を参考してほしいですが、ポイントは

  • JASRAC管理の楽曲限定
  • 楽曲使用料は100曲分を任天堂からJASRACに支払い
  • 上の理由によりダウンロードの上限は100曲

というところでしょう。

こうすることによって、うまく著作権問題をクリアしたが、

オリジナル楽曲のアップロードができないという問題を抱えてしまっている。

このような慎重な姿勢は世間一般からの批判は受けずに済むが、インターネットの持つダイナミックさを活かすことができない弱点を持っている。

一方、「うごメモはてな」には著作権に関してグレーというか明らかにアウトのものも存在している。

これは運用があくまえも「はてな」がやっているからこそ可能と言える。

別に「はてな」が著作権に無関係という訳ではないが、

Web界のIT企業はGoogleが買収したYouTubeのように著作権問題がグレーな場合、何か問題が起きるまで突っ走り、

問題が起きたら個別に対処する傾向が多い。

他業種の企業はグレーなら躊躇するか「バンドブラザーズ」の時の任天堂のように完全にクリアできる状態にしてからではないと手を出さない傾向がある。

しかし、これでは著作権をクリアにした動画共有サービスがYouTubeに全く対抗できなかったようにWebの世界でインターネットのダイナミックさを十二分に活かすIT企業相手に戦うことはできない。

インターネットは任天堂の大きな目標の一つだと思うが、現在の任天堂が突っ走る覚悟を決めているかと言えばそこまでの覚悟はないと思う。

そこで任天堂はIT企業である「はてな」をいいように利用してインターネットのダイナミックさを得たという見方ができる。

もし、「協業」という形ではなく任天堂がはてなに依頼して「うごメモはてな」を運用するとなると任天堂自身が著作権問題の矢面に立たなくてはいけなくなる。

しかし、「うごメモはてな」を運用しているのは「はてな」なので著作権問題に対処する必要があるのは「はてな」という訳だ。

任天堂と「対等扱い」したことによる「はてな」のメリット

任天堂にとって「協業」という形は珍しいが、

他社と協力して何かを作ることは別に珍しいことではない。

実際に任天堂がパブリッシャーで販売されるゲームの多くは他社に開発委託して作られるものが多い、

最近だと 「わがままファッション ガールズモード」の開発はシンソフィアという会社が行っている。

さらに「ファイヤーエンブレムシリーズ」「メイドインワリオシリーズ」の開発を手がけるインテリジェントシステムや

「カービーシリーズ」のハル研究所などの任天堂の資本の入った会社や、

受注開発専門会社のトーセは「星のスタフィーシリーズ」を手がけている(と、いわれている)。

「はてな」の近藤社長が飲む飲まない、任天堂にメリットがあるないは別として、

「はてな」に金銭で開発を委託することも、

「はてな」に資金を注入してハル研究所やインテリジェントシステムのようにセカンド・パーティー化するのは容易である。

今後、「はてな」と取引が続くとした場合、金銭で開発を委託したり、下手に資金を注入するよりも、

「はてな」自身が自力で成長し、友好関係を継続する方がメリットが多いという判断があったのではないだろうか?

「はてな」にとっても

「任天堂と対等の取引がある」

というのは長い目で見れば受託開発や資金注入よりメリットがあるはずだ。

実際に「はてな×任天堂」という文字が任天堂の広告費で大々的に宣伝されている。

岩田社長が山内前社長にしてもらったことをそのまました

いろいろな理由が存在し、それらを総合的に判断して「協業」という形に落ち着いたのだろうが、

個人的には

岩田社長が過去に山内前社長にしてもらったこと、与えてもらったチャンスを将来有望な近藤社長に同じように与えた

という理由が一番なのではないかと思う。

42歳という若さで50年も続いた山内社長から社長を受け継いだ岩田さんですが、

それまでの簡単な経歴は

  • 大学卒業と共にアルバイト先だったHAL研究所に就職
  • 32歳、開発部長の時にHAL研究所が事実上の倒産
  • 任天堂のバックアップを得て社長としてハル研究所を立て直す
  • 40歳の時に請われて取締役経営企画室長として任天堂入社
  • 42歳で任天堂社長に就任

と、なっている。

なかでもポイントはハル研の事実上倒産と社長就任だろう。

このとき任天堂の山内前社長がハル研再建のバックアップを引き受ける条件としたのが、

「岩田を社長にする」

だと言われています。

バックアップすると言っても

「ポケットマネーで借金をちゃらにしたから、岩田くん、これからがんばって」

というようなものではなく、

「再建が失敗した場合の最低限の損失はカバーするからハル研の和議に応じてもらえないか?」

くらいのものだったと思う。

実際、岩田社長の新生ハル研究所は15億円もの借金を背負い、

岩田さん個人も

会社が建物を担保に借りた借金は、 もし会社が立ちゆかなくなったら、 わたしが個人補填をしなければいけない 状況になっていました。

という状況でした。

参考 ほぼ日刊イトイ新聞 - 社長に学べ!

まさか、この時点で山内前社長が岩田さんを後継者に考えたわけではないでしょうが、

将来有望な32歳の若者にチャンスを与えはしたが楽はさせなかったのである。

そして、経営者としての悪戦苦闘が岩田さんを山内前社長の後継者にまで育つ要因になるのである。

そして、岩田さんが42歳のときに任天堂の社長に就任。

任天堂に移ってわずか2年。岩田さん以外の取締役はすべて年上という状況でのことだった。

時が移り、岩田社長が当時の山内前社長と同じように

将来有望そうな30歳?の「はてな」近藤社長にチャンスを与えた(「はてな」は当時のハル研と違って経営は健全です)。

しかし、岩田社長自らの経験からもチャンスは与えても楽をさせないほうが本人のためと判断した。

このように考えると「はてな」側のリスクも大きい「協業」という形を取ったことにも納得がいく。

山内前社長が岩田社長を後継者にした理由は

「ゲーム開発と経営がわかる人間だから」

と言われています。

そして、もう一つ付け加えるなら

「失敗も成功も体験し、、金のない辛さを嫌というほど知っているから」

ではないかと思います。

山内前社長も本当の意味で成功し、負債を抱える苦しさから脱出したのはゲームウォッチからで、

それまで

  • タクシー
  • ラブホテル運営
  • インスタントライス
  • 光線銃射撃場を作ったらオイルショックで大不景気に

など、数多くの失敗を続け、金の無い苦しみを味わいつくした人物だ。

だからこそ、金がない苦しみを誰よりも分かっている岩田さんを後継者に選んだのではないだろうか?

岩田さんは「(ゲーム業界で)ハードを赤字で売ることが当たり前になっているのは納得できない」と言い続けた男だ。

よく「DSとWiiがコケたら任天堂は倒産していたかもしれない」と、言う人がいるが

もし、コケていても次のハードで勝負できるだけの資金と人材を持った状態で社長を辞任する状態を保っていたと思われる。(と、いうか一か八かの勝負できるほどの権限が岩田さんにあるわけない)。

ソニーのPS3やマイクロソフトのXBOX360のような冒険は最初からしていないのだ。

さて、最後にネタを

「インターネットと経営、成功と失敗、金のない辛さ」

を知っている「はてな」近藤社長がゆくゆくはインターネット企業としての顔も持つようになった任天堂・岩田社長の後継者に、、、、

単なるネタだが、面白い妄想ではある、、、かな??