追悼 三沢光晴選手

  • 6月 14, 2009 22:25

まず、今回のような事件はあってはならないことだし美化してはいけないことだと思う。

僕はいろいろなスポーツを見るので好きな選手・アスリートは数多くいるが、プロレスラー三沢光晴選手のことは好きというより尊敬していた。

だから、これから書く三沢さんへの気持ちは死後も変わらない尊敬の気持ちなのだし、ひょっとしたら今回の殉死ともいえる試合中の死を美化しているように思われるかもしれないが、そこは違うと最初に言っておく。

今年に入ってからの三沢さんと三沢さんが率いるプロレスリング・ノアがおかれた状況を考えれば体調が悪いことを理由に休める状態でなかったし、何よりも三沢さん自体が休みを受け入れたと思わない。しかし、こうなる前に休ませることはやはり必要だったと思う。それがどんなに困難なことであっても。

今思うことは、性格的に無理をしてしまう小橋選手の身体と体調を何よりもケアしてほしい。彼は死を覚悟してリングに立ち続けるだろう。というか、小橋選手に限らず一流のプロレスラーは今回の事件が起こる前からずっと死を覚悟していたのだ。

昔、女子プロレスラーが試合中に頭部を強打して亡くなったとき、インタビューを受けた三沢さんは「死のことはいつも考えている」と言ってた。ここで三沢さんの性格を一つ言っておこうと思う。大口を叩いたり、法螺を吹くのが職業として必要とされている場合が多いプロレスラーという職業なのだけど、三沢さんは生涯それを嫌い大口や嘘は絶対に言わない人だった。三沢さんが「死を覚悟している」と言えば、それは文字通り「死を覚悟している」ということなのだ。

三沢さんが全盛期だった全日本プロレス4天王時代というのは確かに「こんな試合を続けていれば、いつか死んじゃったりするんじゃないか?」と、思うような試合の連続だった。死なないまでにしても、この人は引退後にまともな生活を送れるのだろうか?と何度も思った。

その時代は「垂直落下」と言われる頭から垂直にマットに叩きつける技が流行し始めた時代だった。最初にマットにぶつかるのが頭なので従来のなるべく頭をマットにつけない受身は取れない。プロレスの受身は奥が深いしプロレスラーしかやらないことなので具体的なことは分からないが、なるべく回転して衝撃を逃がすような受身が必要らしい。

三沢さんは受身の天才だった。キャリアをジュニアヘビー級ではじめたことからも分かるように元々の身体が小さい三沢さんが、アメフトのラインのような体格を持った外国人レスラーと立ち向かうには受けるだけ受けて、相手の体力を消耗させた上で逆転するスタイルしか活路がなかった。また、そのスタイルはプロレスの王道だった。三沢さんは受身の技術と強力なエルボーの力で超一流選手となる。しかし、どんなに上手くても相手があってのことなので失敗することもあれば、ダメージも蓄積する。

三沢さんは慢性的にほんの少し首が胴体にめり込んだような状態になっていたらしく、試合後は足と顎にかけたタオルを力自慢の若手レスラーがそれぞれ引っ張って体調を整えていた。タオルが顎にかけ、三沢さんの肩に足を置き踏ん張り思いっきり引っ張る若手レスラー。めり込んで歪む三沢さんの顔、、、その光景をはじめてテレビで見たときはあまりの衝撃に言葉を失った。

「シャワールームでいつまでたっても鼻血が止まらず、床が真っ赤になった」 そんなインタビューも読んだことがある。前にも言ったが三沢さんはそういったホラは吹かない。

全日本以降にプロレスリング・ノアを社長として立ち上げてからは、酷使し続け満身創痍となった身体と、経営者としての重責がプロレスラー三沢光晴の輝きを少しずつ失わせていったことは間違いないが常に全力を出す三沢さんのファイトスタイルは変わらなかった。

それにしても、あの三沢さんが受身を取れずに試合で亡くなるなんて、、、。そんな話は冗談にもならない、、。辛過ぎる。

亡くなった日は早く寝てしまっていたので全く知らなかった。朝方、奥さんから話を聞いた。「嘘だろう?」と思ったが、同時に絶対にないことではないとも思った。起きて何度もネットをみて確認した。嘘であってほしかった。夢であってほしかった。

放心状態で会社へ行き、戻ってきても三沢さんの死は変わらない。どうしても現実として受け止めたくない。

それにしてもバックドロップの受身が取れなかったなんて、、考えられない。ジャンボ鶴田の強烈なバックドロップもスティーブ・ウィリアムの殺人バックドロップも川田のバックドロップも何度も何度も受けてきたじゃないか、、、

手元に映像がないので著作権的に問題があるのかもしれないがYouTubeで鶴田vs三沢の三連発バックドロップの試合を見る。まだ27才の三沢が30代の鶴田と戦っていた。今見ても、、というより今でこそバケモノじみた鶴田の強さが分かる。強烈なバックドロップ。3発目を食らった瞬間に三沢の身体から力が抜ける。3カウントが入りマットに寝たままの三沢。ただその目はしっかり天井を見ていた。決して死んでいない目。

この三沢さんが死んだなんて信じられない。あんなバックドロップを何度くらっても大丈夫だったじゃないか、、と、思うと涙が浮かんでくる。急に三沢さんの死に実感が伴ってくる。

三沢vs川田をみる。三沢が川田のパワーボムへの切り替えしを狙い、川田が強引に腕力でそれを阻止したら腕の骨を折ってしまった試合だ。vs小橋戦の方が名カードなのだろうけど、どこか健全な匂いのする小橋戦より、複雑な感情が入り混じり異常な状態になる川田戦の方が好きだった。前のドームの試合でもポイントになった川田の顔面ケリが今回も豪快に三沢の顔に入る。そして問題のシーン、パワーボムへの切り替えしを強引に腕力でこらえる川田、のけぞった形の三沢の頭部がマットに突き刺さる。とても危険なシーンだ。川田の右腕も見た目には分からないが折れている。それでも3カウントが奪えず、折れた腕も使い三沢の身体を持ち上げ垂直落下のブレーンバスターで決着。 3カウント後、右腕を押さえ呻く川田、、、。 「そこまでしないと川田は三沢に勝てないのか」と涙を流した当時を思い出す。

負けた試合ばかり見ていたので、勝った試合と思い、偶然目に付いた三沢&力皇vs小川&村上を見る。珍しく三沢がバックドロップ3連発で勝った試合だ。堪える村上を横にずらして持ち上げ、横から受身を取らせないように落とす。エゲつない。逆説的だが、受身を取らせる技と受身で成立するプロレスの奥深さを理解できた試合だった。かみ合わない相手ではスリリングな試合になってもプロレスの試合にはならないのだ。

やはりvs小橋もと思い、花道から場外へのタイガードライバーを敢行した試合を見る。今みても「死」が頭をかすめるシーンだ。学校の体育でマット運動をするときに使ったマットが敷いてあるくらいのコンクリートの床に100キロを超える大男を後ろから投げるのだ。恐ろしいシーンだが、これを見た当時の僕や観客は心配をしながらも心のどこかでこれを喜んだ。そんな感覚が今回の死へ結びついたかもしれない。そんなことを考えてもしかたないのだが、どうしても考えてしまう。しかし、それが死に結びついていたとしても、この試合を否定することもできない。三沢さんも小橋さんも全力で戦ったのだ。

最後に4天王プロレスが見たくなり、三沢&小橋組が始めて世界タッグを取った試合を見る。すでに足を痛めていた川田が試合早々に靭帯を痛める。しかし、当時の小橋はまだまだだったこともあり、川田&田上組が優位に試合を進める。流れるような試合展開。 しかし、壁役に徹した小橋が耐え切ったことにより体力を温存した三沢が一気に試合を決める、田上、川田それぞれにローリングエルボー、川田に高角度の投げっぱなしジャーマン。場外の田上に向かってエルボースイシーダ、ジャストーミートしたと思ったらそのまま着地。ありえない運動能力の高さ。三沢は文句なしに天才だった。最後は小橋に託して勝利。 プロレスはやはり素晴らしい。

しかし、三沢さんは亡くなってしまった。 本当に悲しい。

4天王時代の全日本プロレスでは年に一度「チャンピオンカーニバル」というトップレスラー十数名がリーグ戦でシングルを戦い上位2名が決勝を戦う過酷な大会があった。

トップレスラーになった後も、その大会でなかなか勝てなかった三沢さんにチャンスが訪れるが、リーグ戦1試合を残して眉の下の骨を折ってしまう。失明の危険もあり即入院の状態だが、充血してウサギのようになった目で残りの試合と決勝戦を勝ち抜き優勝する。

なぜそこまでするんですか?という記者の質問に

「今は今しかないから、次に同じような状況になってもそれは今じゃないから」

と、答えた三沢さん。好きな言葉だが本当に限界を超えて戦っていたんだと思うとせつない。

享年46歳、いくらなんでも若すぎる。悲しすぎる。

自分に対してストイックなのに、他人に対しどこまでも誠実で優しかった三沢さん。心から尊敬していました。本当にありがとう。

心より冥福をお祈りします。

あなたの試合を見ることはできなくなりましたが、これからもプロレスを応援し続けます。